和泉流宗家
狂言の良さ
気品の和泉流狂言
現代の狂言における良さとは
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能と狂言の違い

 さて、狂言と能楽とを混同しておられる方がけっこう多いのですが、まず目立ってちがうのは、能楽は謡曲と似ていて、聴いていてどうも何を言っているのか判別しにくい。その点、狂言は聴いていて、よくわかります。
 また、能楽の世界は、旅の僧侶が暮れなずむ幽谷にさまよい入ると、そこで亡きひとの御霊に会うといった、おどろおどろしいものが多い。これに比べ、狂言は主従の関係が歴然としている封建社会なのに、なぜか、いつもご主人に仕える太郎冠者が知恵者で、ご主人を頓知でやりこめて、けろり。そこに、封建社会といえども、人間味のあるおかしみがあり、会場内は爆笑、爆笑。ああ、にっぽんって、中世、室町の時代から、けっこう、民主的な笑いがあったんだ、いい国だったんだと、ほのぼの温かい気持ちになってくる。
 もちろん幽玄の世界もよろしい。能楽のよさも結構。でもこうした狂言のもつ現代性は西洋社会にも通じるし、だいいち、日本の若い層にもてもてですから、狂言は全国各地でウエルカムなのです。

手軽にして荘重。気品またよし

 狂言は移動しやすい。
 そうです。狂言は東京から遠く離れた場所で、たとえば、九州の小学校で行うとなっても、舞台装置にそんな大掛かりな準備は要りません。といっても、鏡板にする幕であるとか、柱や松をあらわす小道具、床の敷物などは必要です。
 また鳴り物も入用な曲目などでは、それなりの準備が必要となります。ですが、たいていのばあい、そう大掛かりな舞台装置はいりません。曲目として大体、これこれのもの、ということで互いに了解が取れれば、準備に入ります。

公演のご依頼はこのサイトから

 そんなわけで、和泉流狂言宗家家元の公演はきちんとしたルールで約束通りにおこないます。他のエージェントからの取り次ぎの場合には、十分に念のいかないことがあり、それが、実行委員会と和泉宗家との了解違いに発展し、最悪の場合、当日、時間通りに実施できないことにもなります。また限られた予算内で企画するわけですから、宗家と実行委員会とが、直接了解を取った上での決め事でないといけません。
 そこで、まず、このホームページにアクセスしていただき、公演について、そのあらましをお知らせください。予定日、公演内容、トーク、狂言教室、あとのレセプションの日程まで、きちんとお聞きします。和泉家の公演予約と照らし合わせて、実施可能となったら、契約書をつくり、実行委員長が一度、和泉宗家とお会いいただき、最終決定となります。公演の申し込みが確かな話ならば、実行委員長に当たる方と面談の上、和泉宗家の理事長と、正式に契約を結べるよう、取りはからいます。この契約は、公演を確実に実施するには不可欠な取り決めです。私は和泉元彌さんはもちろん、和泉宗家のみなさんがたが、どんなに誠実な方々か、よく知っています。その信頼関係のもとで、お手伝いをしています。公演の申し込みも、和泉さんたちとほんとうに心の通うお付き合いをされたい方からのものを最も歓迎します。
濱野成秋
気品の和泉流狂言
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